サイトマップメールhome

写真と文 石川文平

 

No.55「プリテック・ステージ」1999年10月号掲載

 

運動会

■よーいドン!軽快な音楽に乗ってトラックを走る。誰もが想い出にある運動会。徒競走ではなかなか1着がとれなかった。私が1年生の時の徒競走で、ゴールの前で振り返って他の者を待っていたから2着になってしまったと、母がいつも笑いながら話していた。■運動会といえば、秋晴れの青い空の下で家族で広げたお弁当を想いだす。母の田舎が栗の産地で、この頃になると必ず送ってくれたから栗は運動会の定版になっていた。だから栗を食べると運動会と母を思いだす。誰でも運動会では家族の前でいいかっこうをしたいものである。私の得意は障害物競争だった。まともに走るよりも要領が使えるから1着も不可能ではなかった。網をくぐったり、南京袋を抜けたりするのは、前に走っている何人かを見ていると要領がつかめる。網を押えている右側の先生は力一杯押え付けるから、左側からくぐった方がいいとかいう具合である。梯子をくぐり抜けるのに、腹がつかえて抜けられない生徒がいたときには、会場が爆笑した。おっと、それは私ではないので念のため。■まあそんな調子で、私の場合はどこにでもいるお調子ものの少年だったわけである。しかし、運動会が近づくと浮かない顔になる友達がいた。普段も体育の時間は休みがちなのだが、運動会は特に嫌いなようだった。腎臓病で長期入院をしていた事が原因の様だ。親が見に来ている時に、いつも最後を走っているのは嫌な事に違いない。しかし、彼もお弁当の時ははしゃいでいた。青空の下で家族や友達と食べるお弁当はやはり最高である。事情で親が来られない友達も結構いた。そんな時はみんなで一緒に食べた。だから、楽しいお弁当の時間もあっと言う間に過ぎてしまう。午後の競技が始まると、腎臓病だった彼も午前中ほど憂鬱そうではなくなっていた。■最近、公立小学校では運動会のお弁当を親子で一緒に食べないらしい。一体どうなってしまったんだろう。家族でお弁当の出来ない運動会なんて、具の入っていない海苔巻みたいなものである。ある先生に聞いてみると、運動会も授業なのだから、昼食は教室に戻って生徒達だけで食べるのだという。家族が来られない人が可愛そうだから、平等にするためだとも聞いた。平等とはそういう事なのだろうか。 競技の結果に順位をつけるのは良くないと、勝ち負けを競わない競技方法も検討されていると聞く。確かに、人を押し退けてまで1着をとることが必要とは思わない。しかし、平等とはそういう事なのだろうか。■人生はいろいろな事があり、社会にはいろいろな人がいる。皆同じではないのであり、皆同じであるはずがない。泣いたり笑ったり、勝ったり負けたり。転んで足を引きずりながらも、最後まで走りぬいた生徒に贈られる拍手は、理屈では作れない平等さなのではないだろうか。

 |INDEX|

 

*このHome pageに掲載している写真及び文章の著作件は
石川文平に帰属します。無断転載を禁じます。