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写真と文 石川文平

 

No.54「プリテック・ステージ」1999年9月号掲載

 

何か変だなの感覚

■未来の病院での話しである。AさんがBさんの脳を移植してもらった。手術は成功し、家族が集まってAさんの名前を呼ぶ。「Aさん判るかい、ぼくだよ」Aさんは目を開けて「あなたは誰ですか、ぼくはBですが」・・・。■こう考えると、脳の移植が現実になっても、脳移植と呼ぶのは正しくないことになる。AさんはBさんの脳をもらったのではなく、BさんがAさんの全身をもらったというのが正しいようだ。だから、脳は本人そのものだという理屈がでる。脳死の見解もその辺にあるようだ。そこがどうも釈然としない。自分の家族の場合だったらどうだろう。家族の誰かが手術して体を全交換したとすると、いくら脳みそは同じだといっても、その人を今日から同一人物とは思えないのではないだろうか。その上、その体が異性になっていたらどうだろうか。似たような映画を見たことがあるが、なかなか面白いコメディーだった。現実にはコメディーでは済まされないだろうが、いろいろ考えても私にはどうも納得のいく整理ができない。■人類は、石器時代から産業革命まで、手足の機能に変わる道具を作ってきた。20世紀になってコンピュータという人間の頭脳に代るものまで作り出した。コンピュータの出現によって、科学は飛躍的に発展した。科学の発展がコンピュータを進化させ、コンピュータが科学をさらに発展させる、スパイラル構造である。おかげでビジネスマンは大変である。ビジネスマンばかりではない、技術者も経営者もキーボードに振り回された。どうしても馴染めないと、拒絶反応を示す者もいた。いや、こちらの方が正直なのだと思う。コンピュータは人間の生理に合わない機械だと感じる。第一、世の中の変化のスピードが速くなり過ぎた。もうそろそろスピード競走も終わりにしてほしい。■片側で、科学の発達は色々なものを解明しはじめた。生命や宇宙の仕組みが判れば判るほど、これ迄の科学や医療の不具合が見えてくる。 ごみ焼却とダイオキシンの関係も、科学の裏と表である。人類は稚拙な科学でこの先何を作ろうとしているのだろうか。脳移植ではないが少し不安がよぎる。便利さがほしい、物質的に豊かになりたい、お金持ちになりたい。欲求を求めているうちは周りが見えない。最終的に全て(?)を手にした時に、本当の価値とは何だろうと気付くようなものではないだろうか。■コンピュータや科学一遍倒はもう古い。教育も開発も人間の感覚や感性を重視したものに切り替わろうとしている。言い古されているが、偏差値や得点で人の価値は決まらないのである。人の喜びや痛みに共感できる感性が大事なのではないだろうか。何か変だなと感じたら理屈でなくて素直に受け止めたい。私が脳と体を別物として考えることが出来ないのも、何か変だと感じるからだけである。次世代コンピュータは、人工知能が発達して何か変だなの感覚も持つようになるのだろうか。

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