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写真と文 石川文平

 

No.50「プリテック・ステージ」1999年5月号掲載

 

男と女

■「男と女」という題名の映画があった。軽快なスキャットとオープンカーの映像が印象的だった。男と女の話しでも、男女雇用機会均等法となるとちょっと色気のない話題になる。恋愛でも仕事でも、とかくこの世は男と女しかいないのだから、男と女の問題は社会問題だと言えるかもしれない。戦後強くなったのは何とやらという言葉も最近はあまり耳にしなくなったが、21世紀がすぐそこに迫ると、戦後はますます遠ざかる。女性が強くなったのではなく、男性が弱くなったのだと言う人もいるが、まあどちらにせよ、環境の変化が習慣を変えていくのは間違いない。■雇用機会均等法で最も話題になったのがセクハラ問題だが、アメリカで莫大な和解料を支払った日本企業の話しが伝わると、さあ大変。講習会を開いて社員教育まで始めた。何とも過保護な企業だが、テレビを見ていると、お茶を入れてもらうのもセクハラに当たるのかなどという質問が飛び出す。こんなマニュアル人間を育てた社会に対しても問題を感じる。規制緩和時代に、募集するとき男女片方だけを指定してはいけないという規制をつくった。男女に違いがあるからこそ価値なのである。男女の違いをうまく生かして、女性が社会に進出できる機会を増やすことがこの目的のはずである。規制して流れを変えるのではなく、仕組みを作って雇用機会を増やすことを考えるべきではないのだろうか。■「女のくせに・・・」、「男のくせに・・・」という言葉も最近は耳にしなくなった。ましてや「お嫁のもらい手がなくなる」などという言葉はタブーに近く、もしかするとセクハラだと言われるのかもしれない。戦後半世紀、日本は平和で豊かになったことに反比例して、他人に干渉もしなくなった。平和であることは緊張感をなくす。耳ざわりのいい言葉だけを望むようになる。そのバランスが極端に崩れると、本来持続できなければならない緊張感すら持てなくなる。学校が崩壊し始めているという。授業中に何人もの生徒が教室を出て行くという。40年以上前に小学生だった私には想像も出来ないことである。 中高生の言葉に男女の差がないのも、緊張感の欠如に似てはいないだろうか。家庭のせいだけにも、学校のせいだけにも出来ない社会問題だと思う。マスコミも政治も行政も市民も、世の中の大人たち全てが見て見ぬふりをして来たつけが、その子供たちを通して降りかかってきているように感じる。■平和を望まない者はいない。しかし、平和とは何も起らず、平凡な時間が流れることではないと思う。夢を持ち、失敗も成功も、感動も感謝もしながらの緊張感が必要なのだと思う。男は男らしく、女は女らしく。これは人類が地球上に登場して以来の普遍的価値観ではないだろうか。逆を望む人たちも多少はいるらしいが、とにかくこの世は男と女しかいないのである。

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