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写真と文 石川文平

 

No.39「プリテック・ステージ」1998年5月号掲載

 

釜ケ崎

■秋芳洞から九州まで足を延ばしてしまったのは、僅か180円の北九州行き路線バスが目の前に止まっていたからである。山陰山陽を回る予定の一人旅だった。こんなにすぐ九州に行けるなら、ちょっとだけ九州の地を踏んで帰ろう。これがその後の行動を大きく変えるきっかけになった。学生時代最後の夏休みのことである。■九州に着くと偶然にも、前日ユースホステルで同室だったヒッチハイカーに会った。その晩は彼のテントに泊まり、翌日ヒッチハイクの手ほどきを受けながら福岡まで行った。すっかりこつを覚え、僅かの金でも何とかなりそうな自信まで感じて、ままよとばかりに一人で長崎まで足を延ばした。その後はヒッチハイクと野宿を適当に折り混ぜた無銭旅行で、結局九州を一回りしてしまったのである。さすがに本州に戻った時には殆ど金は使い果たした状態だった。大阪に着いたときには東京までの鈍行の切符と200円ほどしかポケットになかった。野宿の出来そうな場所を探しながら天王寺駅に行くと通天閣が見えた。通天閣の下には金の無い自分になじめる場所が有った。大きな鍋でぐつぐつと音をたてる煮込みに思わず唾を飲み込んだ。「にーちゃん食べてきー」おばちゃんの声はやさしかった。あと200円、残りの金の使い方を考えながら我慢することにした。 腹がグーと鳴った。1泊100円の宿があちこち目についた。今の貨幣価値から言えば1000円位だろうか。■大阪の街なかで野宿は難しかった。入り口で宿代を払い、言われた通り階段を昇ると、がらんとした和室に若い男が一人居た。歳を聞くと私と同じ歳だった。彼は腹が減ったと言っていた。数日前まで飯場で働いていたそうである。「おまえは自分の働きよりも飯を多く食った」と言われて労賃を払って貰えないそうだ。私が大学生だと知ると、彼は私に色々な事を尋ねた。東京には御堂筋位の大きな道路が有るかとか、日本をあちこち行ったのなら本当に日本地図の様な形をしていたかとかである。そんな質問をした彼を私は笑えなかった。夏休みの一人旅という贅沢な経験での空腹と、明日食う金が無い生活のひもじさとは月とスッポンであった。彼は小学校を卒業していなかった。同じ歳の日本人でこれ程違う環境があることを始めて知った。世間知らずと、自分がいかに幸せに育ったかを実感した。この宿を彼はドヤと呼んでいた。ドヤは夜になると急に混んで来た。狭い布団をびっしり敷き詰めた雑魚寝状態である。夜中、隣で誰かが私の体をまさぐっていた。見ると60過ぎの男であった。その男を思いきり蹴飛ばした。その時、私は初めて老後という事について考えた。人生はそれぞれである。その人が幸せか不幸せかを私が判断出来る事ではない。釜ケ崎は私に、色々な意味で熟考する機会を与えてくれた。■翌年偶然にも大阪に就職した。会社は天王寺駅の近くであった。釜ケ崎のドヤの話しを聞いたのはその時である。もう一度あそこに行ってみたいと思い、同じ場所を尋ねてみた。街の入り口で、私を受け入れてくれないことを肌で感じた。ぐつぐつと音をたてる大きな鍋も、にこやかだったおばちゃんも、あの時とは別世界の様に見えた。奥まで入って行けずに引き返した。受け入れなかったのは自分だったと気付いたのは、それから随分してからであった。

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