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写真と文 石川文平

 

No.33「プリテック・ステージ」1997年11月号掲載

 

屋久杉 その2

■屋久島は巨大な花崗岩の塊で出来ている。石の上に土が積もった島。従って、ここの樹木は根を深くではなく広く張る。周囲約130Kmの島に高さ2000m近い山がある。世界最長寿、樹齢7200年と言われる縄文杉はこの島の海抜1500m付近にがっしり根を張っている。海からの湿気を含んだ風が高い山にぶつかって雲が出来る。屋久島の山間部に雨が多いのはこのためである。降り続く雨はスコールの様に断続的に激しさをましていた。歩き始めて7時間、やっと出会えた巨大な杉はさすがに周りを圧倒していた。幹のあちこちに出来た大きなコブはいかにも老練な島の主を思わせる。幹の頂上の部分は風に折られて枝が横に広がっている。雨に霞んだもやの中に、悠然と立つ7200年の大樹。目のあたりにすると老木とは呼べないエネルギーを感じた。■屋久杉とは樹齢1000年以上の杉を呼ぶのだそうだ。江戸中期以前は屋久杉には神が宿るとして、伐採されることは無かった。しからば秀吉の時代に献上したと言われるウィルソン株は例外だったのだろうか。いかに天下の秀吉の命令とは言え、当時の屋久島の住民にとっては天地がひっくり返る程の大騒動だったはずである。これに疑問を感じたのは私ばかりではないようで、たまたま知人にもらった「屋久島物語」(著者牧良平氏の自費出版)という本に秀吉説を否定する具体例が書かれている。その内容は割愛するが、神が宿ると言われた屋久杉を伐採するようになったのは、如竹という島の僧侶の知恵によるものらしい。江戸中期、島津藩は屋久杉の存在に目をつけるが、島のしきたりで杉を切らせる事が出来ない。当時は無尽蔵に見えた自然の恵を何とか活用するために、如竹は一計を案じる。「屋久杉を切って島民の糧にするよう神のお告げがあった。神の宿る屋久杉を切るには、杉に一晩斧を立てかけておきなさい。翌朝その斧が倒れていなければ切ってもよいという証である」と言ったのである。よほどの大風でも吹かないかぎり斧が倒れるはずはない。 ■それ以降島は屋久杉の伐採で潤うことになる。柾目が通り利用しやすい大木はどんどん伐採された。その後国営事業となり、トロッコ線路がひかれ斧やノコがチェーンソーに替わり更に大量伐採が続く。その結果昭和40年代には最も豊富だった島の中央部の屋久杉は殆ど姿を消すことになる。如竹の方便から僅か200年程で、数千年かかって出来た屋久杉の森が消えたのである。同じ地域に有りながら縄文杉や大王杉が辛うじて伐採を免れた理由は、木材としての価値が低かったからではないかと思う。コブの出たでこぼこの幹は素材としてはあまり価値がなかった筈である。屋久杉の森を刈り尽くした30年後、屋久島は日本で初めての世界自然遺産の指定を受けることになる。■屋久杉に神が宿るから切ってはならないという言い伝えは、古代の人達の自然を守る知恵であったに違いない。世界自然遺産という保護活動は、現代的自然を守る知恵と言うことも出来るが、自然の恵に感謝をするという古代の人々の知恵には遠く及ばないような気がする。延々と続くトロッコ道を再び歩いて戻ると、麓の町に雨の降った様子はなかった。

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