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写真と文 石川文平

 

No.31「プリテック・ステージ」1997年9月号掲載

 

明治36年

■明治36年。特段の事件があった年号ではなく、私の父親の生まれた年である。それがどうしたと言われるのを覚悟で今回のタイトルにさせて頂いた。団塊の世代では明治生まれの親を持っているのは少ない方だと思うが、私の父親が健在ならば90歳をとうに過ぎている。長寿国日本ではこの年のお年寄りで元気な方も多いのだが、27年も前に他界した自分の父親がもし突然現在を見たならばどんな印象を述べるだろうか。そんなことを最近よく考える。■27年前と言えば大阪万博が開催された頃であるが、その頃パソコンのパの字も一般社会には登場していない。それどころか電卓ですら一般人の手の届く所にはなかった。その2〜3年前、学生だった私は研究室で手動式計算機のレバーを何回も回して計算していたのを思い出す。そのとき工学部の教授の部屋にエレクトーン程の大きさで足の付いた電子計算機(電卓)が、偉そうな顔をして鎮座ましましていたのを覚えている。この便利な機械をなかなか使わせてもらえず、恨めしそうに横目で見ながら算盤をはじき手動計算機に汗を流したのである。当時10万円以上もした電卓が今は1000円もしないで手に入る。パソコンの先鞭を切って年々小型化し普及したのであるが、それと引き替えに算盤が世の中から消えたのはわずか10年程の間の出来事である。■オフセット製版もガラスからフィルムへ、そして電子製版へと戦後50年激しく変化して来た。そして現在パソコンがその変化をピークへ押し上げようとしている。デザインと製版が一体化し、版下が消える日がもう其処までやって来た。フィルムレス、つまり製版レスのオンデマンド印刷も未来の話しではなくなっている。この環境の変化を我が親父が見たならば何と言うだろうか。ショックが大きすぎて又あの世へ行ってしまうに違いないが、感傷的なものとは別に、SF的好奇心で時代錯誤を交えた会話をしてみたいと思うのである。「自分が事業を始めた頃には、技術が物を言う最先端の仕事だと思っていたんだが時代も変ったもんだな」などと感慨深く話すに違いない。今は複雑な平網伏せもMACで簡単処理が出来る。「駅前にもMACがあったがハンバーガーショップも経営してるのか?」等とトンチンカンな事を聞いてくれたりすれば大満足である。明治36年と言えば20世紀になったばかり、日露戦争の前年である。いやはや大昔、だが明治生まれは維新の激変を肌で感じられた世代であり、モボやモガが流行ったように新しいファッションにも敏感である。 ファッションと言えば、先日花火見物に行ったら浴衣姿の男女がとても多いのに驚いた。親父が見れば「やはり日本人には着物が一番よく似合う」などと浴衣の女性ににんまりしながら目をやるだろう。よく見ればチャ髪に日焼けサロンの真っ黒な肌、携帯電話片手にくわえ煙草で裾を乱して大股に歩く。その姿に目を丸くして「やはり良い時代にこの世を去った」と言うかもしれない。■空に奇麗な花火の輪が広がった。玉屋、鍵屋の声は掛からなくなったが、新しい色や形など花火技術も年々進歩しているようだ。何百年も続く技術が有るかと思えば、少か数十年で変わろうとしている技術もある。製版の歴史は一瞬の花火の如くであったのだろうか。ひときわ明るい輪が夜空に広がった時、明治36年生まれの老人が楽しそうに花火を見上げる姿が見えた様な気がする。

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