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修行の巻二

 

女性はまっすぐ歩いて行き、正面の首座に座った。 背の低い人のよさそうなおばちゃんであった。この人が我々の指導者らしいと思った。何か説明があるに違いないと待っていると、ごそごそとカセットテープをかけ始めた。やわら聞きなれない外国人の男(ゴエンカ氏)の声でグニャグニャ話し始めるが、ヒンズー語なまりの聞き取りにくい英語(聞き取れてもどーせ理解できないのだが)だった。ひとしきり喋り終わると、日本人の女性の声で解説があった。やっとほっとして聞き入ることにした。何しろ聞くしかすることが無いのである。瞑想の仕方を説明してくれたのだが、座り方や呼吸の仕方はほとんど説明なしと言ってもよかった。呼吸は自然に、足は投げ出すな、これだけである。おいおい、それじゃあ正座しようが立てひざしようが構わないのかー?と思ったがやはり胡座をかくことにした。私は呼吸は吐く息を深く長くするものだとばかり思っていたが、自然だという。自然と言う事はいつも自分がしている呼吸のままということで、楽で有り難いと思えた。 以前、曹洞宗の禅寺に半日座禅を習いに行った事があったが、その時は足の組み方が決められており、呼吸の仕方も数を数えながらゆっくりと吐き出すというものだった。しかも目はつぶってはいけなく半眼にするのである。足の組み方、呼吸、半眼、この三つとも意識してしまう上に、ひとーつ、ふたーつと数を数えながらの呼吸なのに何も考えるな、と言われて何が何だか分らなくなった。その点ここは楽である。目をつぶれと言われたのもうれしい。正直言って半眼は辛いものが有る。見えるだけで何か考えてしまうのだ。ともかく初日はくどい程、ここの瞑想法をすべて受け入れて言われた通りの方法で瞑想するようにと説明していた。他の瞑想を混ぜて行ってはいけないと何度もくり返していた。私にとっては全てが楽な方向で教えられたのだから、何の抵抗も無くその方法を受け入れられた。しかしながら、受け入れられるのは方法であって、実行となるとそう甘いものではなかった。

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