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修行の巻十

 

最終日の1日前、朝食後の瞑想が終わると沈黙が解かれる。勿論瞑想ホールの建物外であればとの条件つきだが、長かった9日間の沈黙が解かれるのである。解かれるとすぐ、数人の女性がホールを出て行った。建物を離れた辺りで一気に言葉が飛び出す。姦しいとはこの事を言っているのだと納得出来る程、どこが区切りだかわからない連続音声が数分間続く。彼女達の意識からはもう沈黙も瞑想もふっ飛んでいるに違いない。数人の声が重複し、言葉は途切れない。話の内容までは聞こえないのだが、会話という状況にはなっていないように思える。一人が話し、他が聞くという関係ではないのである。全員が話し、全員が話すのである。女性にとっての(必ずしも女性全てがあてはまるとは思わないが)沈黙とはこれ程の反動を生むのだろうか。ただただそのエネルギーに驚きながら私は瞑想ホールで眼を閉じていた。
その日の夕食は一気に賑やかになった。これまで下を向いて暗い雰囲気で食べていたあの彼も、今日は晴れやかに正面を向いてキンパチくんと笑い声で話している。オボウさんもコボウさんもニコニコしながら会話している。私も隣や向かい、そして後ろの人と顔をあわせれば話をした。姦しさは女性ばかりの特権ではなさそうである。食事の後お茶を飲んでいると隣にポマさんが座った。ポマさんは私にとって楽しい刺激をくれる有り難い存在になっていた。笑顔で眼を会わせると、にこやかに会釈を返してくれた。韓国の人で70才を過ぎているが、日本語をとても流暢に話した。この日の食堂は消灯真際まで賑わった。解散の一日前に沈黙を解くことには理由があるようだ。長期間瞑想と沈黙を続けて急に一般の生活に戻ることで混乱を生じないようにとの配慮らしい。
最終日は朝食をとって解散になる。朝食前の最後の瞑想を終えて食堂に集まった顔には達成感が溢れ出ていた。11日間の日程で丸9日間を無言で通し続けた達成感とともに、それぞれが何かを掴んだに違いなかった。掴んだものは各々違いがあるだろうが、実際に自分の身体を通した11日間の体験が実在しているのは間違い無い。食事が済むとダーマ(お布施、お礼)を置いて三々五々家路につく。ダーマの額は自由である。お金に余裕のない人は掃除やお手伝いでもよいのだ。私は僅かばかりのお礼を置いて送迎のバスを待った。そこに指導者の女性がやって来た。私は先生長期間有難うございましたとお礼を言った。すると「私は村上と申します。皆さんと同じ仲間ですから先生と呼ばないで下さい。少し先輩なだけです。今回は役割として台の上に座りましたが、私も台の上で一緒に修行をしているんです。」人の良さそうなおばちゃんと感じた指導者に更に親しみ易さが増した。間もなくマイクロバスが来た。バスの窓から後ろを見るとおばちゃん、いや村上さんが手を振ってくれた。私も手を振った。

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