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写真と文 石川文平

 

1995年3月

 

私の見た阪神淡路大震災 上

■「百聞は一見にしかず」という言葉がある。しかしながら、この度の震災現 場に行って話をうかがうと、見聞きしただけでは被災者の方々の体験を理解す ることは不可能である事が判った。「百見は体験にしかず」とでも言うべきで あろうか。2、3日の滞在期間ではボランティアのお手伝いもままならず、震 災に関して何等かのお役にたてればと、現地での見聞を事業者の目で文章にす ることにした。これを書くにあたり、この度の震災で亡くなられた多くの方々 のご冥福をお祈りするとともに、被災者の皆様並びに事業所および関係者の皆 様が、一日も早く復興出来る事を、心から願ってやまないものである。■私が 初めて震災の神戸を訪れたのは3月3日、震災当日から45日目にあたる。事 前に、現地を訪れた方から情報は得ていたが、三宮に到着するまでに代替バス の行列等、東京での何気ない普段の生活が、いかに便利であるかを痛感させら れた。大阪から電車を利用して神戸に入る方法は、JR、阪神、阪急の3ライ ンあるが、それらの全てが灘付近で不通になっている。高速道路の橋脚が崩れ て横転した映像をTVの報道等で見て、ショックを受けた方も多いことと思う が、線路や駅の橋脚も同じ事である。特に活断層の周辺では信じられない程の 力が、地上の全ての物を激震させたのである。■電車が大阪駅を離れると間も なく、屋根の瓦が落ちた家が目立ち始める。マスコミからは神戸や淡路島ばか りが被災地のように感じられるが、実は被災地はもっと広範に渡っているので ある。当社と取引のある大阪のフォトライブラリ―も、写真ケ―スやコンピュ ―タの転倒で丸二日程仕事が出来なかったと聞いている。例えば自分の家の瓦 が落ちてしまう程の地震に遇ったらどうであろうか、室内はメチャメチャにな っているだろうし、きっと大騒ぎしているであろうこと考えてみれば、たかが 瓦とは言えない被害なのである。■西宮駅を過ぎたあたりから様相が一変し始 める。沿線のあちこちで、倒壊した家が目に飛び込んで来る。普段の生活では たった一軒でも倒壊した家など見る機会は希なのに、電車の速度で幾駅も幾駅 もの間、崩れた屋根瓦や倒壊した家を見ていると、異様な状況に目を疑わざる をえない。阪神電車は御影駅までしか開通していないので、訪問先のある三宮 へは西灘まで代替バスを利用する事になる。西灘直通バスは連続して来るのだ が、これが長蛇の列で、乗るのに1時間程かかる。それでも私の乗った時間帯 はピ―クをすぎていたので、混でいない方なのだそうだ。しかも代替バスが順 調に走れるようになったのは3月に入ってからで、車両通行証の発行を厳しく してからであるから、それ以前の状況はいかばかりか想像が出来る。バスを待 つ行列の中には、ショイコに段ボ―ル箱を積み上げた買い出しらしい人達もま だ見られた。■初めの訪問先である三宮駅前のフォトライブラリ―に到着した のは、阪神梅田駅をでて約2時間後であった。報道で既にお馴染みになった駅 前のそごうデパ―トや神戸新聞社のビルはネットが掛けられていた。神戸新聞 が震災当日も休まず発行し継ずけたことは記事で読んだが、この状況下で新聞 の使命を果たし続けた事に驚きとともに頭が下がった。■被災者とそうで無い 者の関係は唐突にやって来る。生活も仕事も継続して流れているのである。助 ける者も助けられる者も被災者であり、自宅以外に職場の復興もしなければな らない。我々がマスコミから得る情報は、市民生活に関係したものが多い。マ スコミの性格上どうしてもそうなるのであろうが、この震災で廃業せざるをえ なくなった事業者も多いと聞いている。不況と震災のダブルパンチの中、我々 の関連企業がどう復興しようと努力しているのか、僅かでも知る事が出来、お 手伝いにつながればと訪問先のドアを叩いた。(続く)

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